| 小野金毘羅山 |
国道57号線で小野に入ると右手の山が金毘羅山。本村のバス停から入って、写真中央の小野団地を抜けて行けば広い駐車場に出る。ここからの展望は抜群。

(尾崎の交差点近くからの金毘羅山)
りっぱな駐車場は有るのだが、今日のところは麓から昇って見る。久しぶりに来たのは、「諌早史談の第一号を、図書館で見たからだ。昔登った参道がどうなっているのかにも興味がある。

旧性円寺の参道登り口から、道標石を頼りに上るのだが、途中で旧車道にリタイヤ。もう普通の服装で上るにはきつい道になってしまった。鳥居には「鎮護大権現」の額束が上っている、この霊場の性格がうかがえる。

展望が良く、広さも充分ある駐車場。金毘羅山を楽しむには、ここからスタートがいいだろう。下からの参道は、ちょっと辛い。いま車が停まっているところからが登り口になっている、本来はもっと上まで車でいけるが、ここからがちょうどいい。

登り始めてすぐに、この別れ道に出る。どちらに行っても良いのだが、はじめてなら右手から上るのがいい。上に上るだけなら、左からが早い。

展望広場への入口を過ぎると、左手に大きな灯篭が見える。昔は灯台代わりにも使われていたと言う「大常夜灯」だ。酒造りの神様、松尾社の境内に奉納されている。
ここからは、大村湾、橘湾を望める。諌早が三方を海に囲まれた所だと理解できる。さて、松尾様にお参りをしたら、先に進もう。

平坦な桧並木の道を歩いていくと、しばらくして原生林かと思う、木々に囲まれる。この辺りから性円寺の寺領になるので、昔から斧の入っていない自然な森の中の小道になる。さらに進んで石仏の出迎えを受けると、左手に芭蕉の句碑が見える。
「初しぐれ 猿も小蓑を ほしげ也」
俳人芭蕉の有名な句が刻まれている。文化10年(1813年)に洞雲斎なる人物が建立したようだ。当時の俳人達が芭蕉を崇敬していたことが偲ばれる。芭蕉の句碑は市内では、慶巌寺にあと一基確認されている。

芭蕉句碑を過ぎて、いよいよ歴史ある性円寺の聖域にはいる。石段を下って、りっぱな「亀の子くずし」かと思える石垣の向うに、石の山門が見える。

金光明山性円寺は、寛延元年(1748年)の創建。天祐寺の主僧為隣宗孝和尚を講じて開山に仰いだという。本堂は老朽化で危険になったために既に解体されて、礎石や縁石を残すのみ。井戸や庫裏の跡から察するに、往時は山頂の寺院としては相当の規模をもつ寺院であったことが偲ばれる。

本堂跡から南に向かおう。整備された石畳を歩いて、横尾石工の制作と思われる狛犬を過ぎて、左手に修行大師の立派な像がある。上宮の坂道にかかる灯篭の手前に、諫江八十八ヶ所霊場五十番札所の標柱があるが、実際に札所の弘法大師が祀られているのは、上宮境内に入る、五の鳥居の先、右手であるので、どの石像が該当の弘法様かわからない参詣者も居たようだ。標柱の整備が望まれる。
上宮は神仏習合の時代らしく、金毘羅大権現となっており、その境内は、西国三十三観音の観世音像が、一定間隔で整然と並んでいる。また、上宮社殿裏には、陀羅尼塔や虚空蔵菩薩も祀られ、境内いっぱいに、往時の信仰の遺産が残っている。
また、社殿前のカニの石像もなかなか愛嬌があって良い。さらに南に下ってみよう。少し歩くと視界が開け雲仙に天草、野母崎半島が望める展望台がある。展望台を振り返ると、八天狗の巨石が聳え、巨石の上には、小さな天狗様の石像が祀ってある。

金毘羅山山頂付近は、素晴らしい景観と史跡に恵まれている。もう少し整備し広報をすることで、この遺産が活きるのでないか?
松尾社裏の広場の展望も良いし、観光資源、レクレーションや健康作りの場にと、活用していきたいものだ、現状のままでも、展望と古い信仰の場を訪ねる意味では、なかなか素晴らしい場所だ。もし行かれた事がなければ、探訪をお奨めする。