| 高城(諫早)城址 |
諫早の中心に有る諫早公園。その中心となる小山は高城(城山)と呼ばれ西郷氏が築城し、竜造寺・諫早氏の居城であった。(11/25/2001)
荘園時代の正応年間(1288年頃)、船越又次郎入道如覚が船越城を築き伊佐早之庄を支配する庄司となって、後に姓を伊佐早と変えた。
この伊佐早氏を有喜城に進出してきていた西郷氏が船越城を攻め取り伊佐早の主と成った。後に文明年間(1470年頃)西郷尚善の代に船越城から新城に移った。これが高城。
秀吉の九州平定後、軍功ありながら領地を失った竜造寺家晴の願いを入れ、伊佐早の西郷純堯は不届者であるので彼の領地を没収したから伊佐早城を攻略して、これを取れと言って朱印状を与えた。家晴は手兵を率いて正林の城を攻め落とした。西郷勢は恐れて島原方面に逃走した。
山頂に祀られる古宮さんの左から藤原・高城明神と右の写真は亀(がめん)塔さん
慶長12年(1607年)、二代直孝の代に鍋島の家老格となり姓を諫早と改め、後の元禄12年(1699年)五代茂門が城郭の維持を断念し廃城、麓の諫早陣屋に移る。ここで100年以上に亘る諫早の支配者の居城が幕を閉じた。
戦後の昭和33年、高城跡を諫早市が諫早家から譲り受け諫早公園として整備をし市民に開放された。
05/10/2008更新