天祐寺の六地蔵石幢

 天祐寺境内には、四基の六地蔵石幢がある。明治初年の神仏分離で、多くの六地蔵の、お顔が、破壊された中、寺院の中は、さすがに破壊を免れ、往時の姿がみられる。(02/03/2002)


(諫早家墓所内石段下)

 境内の六地蔵の内、書院中庭にあるものが、天文10年(1541)に建立されたものとして、昭和52年に、諫早市の文化財に指定された。その後、諫早史談会の調査により、諫早家墓所内、石段下の六地蔵が大永6年頃(1526〜1528)と判り、諫早市内最古の六地蔵石幢と判った。

 傘石の下に、六体の菩薩を彫って、蓮型の台石で受け、その下は四角の棹石二本継で支えている。

 この形の六地蔵は、市内各所で見ることができる。地蔵菩薩への信仰は、浄土信仰と共に庶民のなかに、広まっていた。

 四代茂真公の石室墓がある、石段上の六地蔵。比べてみると、傘石の大きさ、バランスが異なることが判る。

 こちらの地蔵尊も、きれいな姿が保たれている。

<メモ>

六地蔵は、六道において衆生の苦患を救う地蔵という。

即ち、地獄道を化す壇陀、餓鬼道を化す宝珠、畜生道を化す宝印、阿修羅同を化す持地、人間道を化す除蓋障、天道を化す日光の総称をいい、各道すべての苦しみを救い、人々を安楽な世界へ導くという。

 そんな、難しいことを言わなくても、地蔵尊のお顔を見ていれば、心がやすまる。