真崎城址(真崎町)

 西諫早ニュータウンを大村方向に抜けたら、右手にある標高70m程の小山が城山とも呼ばれる真崎城址。(04/13/2002)


(真崎川上手から城山を望む)

 西郷氏の時代の支城(山城)が置かれた。築城者は志々岐四郎左衛門といわれ、西部団地の造成でなくなってしまったが、領民が耕作に行くのに遠回りをしなければいけなかった入り江に道を作り、「四郎左衛門(しらじや)の坂」と呼ばれていた。

 築城の目的は、今村川の対岸にあった、大村氏の伊賀峰場の対城であったと思われる。

 西部団地との間、もと「しらじやの坂」へ入ったところには、昔の名前を偲んでか、四郎左衛門橋となっている。

 この名前の謂れを知る人も少ないだろう。城山に登って遺構のようなものも見られたが、案内版一つないようでは、だんだんと忘れられてしまう。

 そんなことを思いながら歩いていると、四郎左衛門橋の下流の真崎橋の袂に、真新しい標柱が立っていた。

 教育委員会とも何も記載されていない標柱は誰が立てたものだろう。