まぼろしの船越城址・船越駅(厩)

 諫早アエル栄町から上町を通り埋津に向かう、現在の主要地方道有喜本諫早停車場線上のこの道は諫早南部地域再開発で拡幅されている。(05/10/2008)

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 上町〜埋津に至る直線道路は上野馬場と呼ばれた直線道路。ここは奈良時代の古代官道であったと伝えられている。西海道の船越駅として延喜式兵部省式に記載されたのが文献上の諫早に関する最初の記載である。

 佐賀の官道跡を見れば側溝を含めて幅10m程有ったそうだから今回の区画整理で拡幅された程度の道路が通っていたのかもしれない。当時の駅(船越の厩)は駅馬5疋が置かれ政治・軍事上の重要な施設。 

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 文献に寄れば和名類聚抄に記された新居(にい)を現在の西郷だとする説もあるそうだ。この説が正しいかどうかは私には判断が付かないが、この先の西郷には、西郷の板碑(建久元年1190年建立)という日本最古の板碑がある。

 宇佐宮の応保3年文書には「肥前国伊佐早村延喜中藤井宮時コレヲ検校僧円昭ニ譲与フ」と記載されている。当時、力の弱い小豪族であった藤井宮時が他の豪族から土地を守るため僧円昭に寄進した記録である。

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 この後の正応年間(1288年頃)、船越又次郎入道如覚が船越城をこの地に築き伊佐早之庄を支配する庄司となって、後に姓を伊佐早と変えた。

長崎刑務所跡 県立諫早農業高等学校

 山口八郎先生に寄れば、刑務所から諫早農業高校辺りではなかったかと思うが、今回の開発で文化課が見つけてくれる事を楽しみにしているそうだ。

 その頃、西郷(現在の雲仙市瑞穂町?)に勢力を固めていた西郷氏は次第にその勢力を拡大し宇木(有喜)に城を構えた。そして力の弱くなった伊佐早氏に代わって伊佐早之庄を支配するようになり西郷尚善の代に高城を築いた。

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 ここを真っ直ぐに行けば、島原街道に至る有喜街道。この道は歴史のある直線道路であった。

【メモ】

 山口先生は楽しそうに言われる。この船越の地に立石という地名が有る。立石とは駅(厩)を示す石を建てたものと言われるが、官道の駅の無い場所にも立石の地名が有るので決め手にならないと。

 歴史調査とは、ひっちゃぐらしい(面倒な)ものである。今度の区画整理で文化課が一生懸命に船越駅や船越城の証拠を探している。

 楽しみなことだと。