永昌代官所跡

 旧国道34号線と207号線の交差点、永昌交差点の大村よりに代官所後の標柱が立っている。(02/01/2002)

 旧国道34号線脇の福田外科胃腸科委員から西にかけて存在した。竜造寺氏は二代直孝の時に佐賀鍋島藩の支配下に入り家老格の家臣となり姓を諫早と改めた。この時分から鍋島藩の諸施策が断行され、その一環として代官所が置かれた永昌は佐賀藩蔵入地うちの一村で交通の要所であった。

教育委員会発行の「諫早の文化財」より書き写し

 永昌は、「永昌宿」と呼ばれ長崎街道の要所の一つだったので上記の解説は、やや消極的説明といえる。いわば駅前に代官所を造ったと云って良い。

 諫早領内の佐賀藩御蔵入地の14ヶ村(西長田、小豆崎、福田、大渡野、栄田、真崎、小船越、貝津、栗面、平山、土師野尾、小野、川床、有喜)を支配した。

 年貢をまとめて佐賀に送る役目の代官である。永昌代官所は佐賀藩のお目付として領内に監視の目を光らせていた。

 国道辺りから、その向かい側、今の本屋さん辺りに有ったそうだ。

05/17/2008更新